マイワールドライフ

ふと揺れた心を、静かな言葉で記しています

私は非自由人!?

私は、自由に見えるらしい。
好きな場所に行き、ひとりの時間を大切にし、
自分の感性で動いているように見えるのだと思う。

でも実際の私は、
“自由人”とは少し違う。

平日の朝ごはんはちゃんと作る。
土日はそれぞれの自由ご飯にして、
家族のペースを尊重する。

行きたい場所があれば、

そちらを優先することもある。
けれど、土曜日は家族デーだと思っているから、
できるだけ一緒に行動するようにしている。

私は、自由を好き勝手に使っているわけではない。
家族の生活と、自分の静けさの

ちょうどいいところを
いつも探しながら生きている。

自由に見えて、自由人ではない私。


そのバランスの中で、

私はようやく呼吸ができる。

伝えない選択は優しさ!?

母に今の気持ちを伝えても、
きっと母はどうしようともできないだろうと

思っている。
それは母の弱さではなく、
年齢と心の容量の限界なのだと、

今は静かに理解している。

だから私は、伝えないことを選んだ。
お互いを傷つけないために。
不毛な争いを避けるために。


そして、母が必死に私を守ろうとした

あの瞬間の光を、壊したくないから。

 

重い話はそっと胸の内に置いておく。


そのかわり、孫の成長や、

日々の小さな良いことだけを
少しずつ伝えていければいい。

 

光だけを共有する距離感が、
今の私たちにはいちばん優しい形なのだと思う。

静かな距離を選ぶこと。
それが、今の私にとって一番、自然な形だ!

家族が信頼できない⁉️安心して話せない苦悩

家族との会話の中で、
ふと「安心して話せない」と感じる瞬間がある。
冗談のつもりで言われた言葉が、
そのまま心に触れてしまうことがあるからだ。

「冗談が通じない」と言われることもあるけれど、
もし本当にそう思うのなら、
冗談抜きで話してくれたらよかったのに。
そんなふうに感じることがある。

家族の言葉は、
軽く言ったつもりでも、
受け取る側の心に深く残ることがある。

私は、言葉の温度や伝え方を
大事にしてしまうタイプなのだと思う。
だから、冗談という名の無神経さを
そのまま受け取れないことがある。

40代になった今、
ようやくその気持ちを
自分の言葉で見つめられるようになった。

消えない心の引っかかり

兄が昔、母を通して
「こどもがこどもを産んで大丈夫なのか」
そんな言葉を伝えてきたことがある。

そのとき私は若くて、
不安も抱えていて、
ただ静かに毎日を過ごしていた時期だった。

兄の言葉には悪意があったわけではないと思う。
でも、悪意がないからこそ、
私の気持ちのことを深く考えていない感じがして、
そのまま心に残ってしまった。

そして母も、
その言葉をそのまま私に伝えてきた。
母なりの距離感だったのだろうけれど、
私の気持ちを守るような言葉はなかった。

だから少しだけ思った。
「母も兄と同じ気持ちだったのかな」
「そうでなければ、わざわざ伝えないよね」
と。

今になって思うのは、
家族の言葉って、
悪意がなくても

心に深く残ることがあるということ。

 

40代になった今、
あの頃の自分の気持ちをようやく
静かに見つめられるようになった気がする。

雨の朝の重厚感

昨日とは打って変わって、雨の朝だった。
道路はいつもの進度とは違い、
出社時間に間に合うか少し心配になるほどの渋滞。

そんな中、夫と朝の会話の内容は、
義父の蘇生措置を巡って

家族会議が開かれることになり、

娘の迎えと一連の世話を私に頼みたいとのこと。

重たい空気を含んだ今朝。
雨のせいだけではない、
家族の状況が心に影を落とす。

でもね。
私は不思議と落ち着いていた。

なんとかなる。
そう達観している自分がいた。

私に起こることは、
偶然のようでいて、

どこか必然の流れの中にある。
そう思うことで、

心が静かに整っていった。

静かな決意

静かな揺れの中で、私は気づいてしまった。
40代になって、

人生の選択には若い頃のような勢いはない。
時間にも体力にも限りがあって、
背負っているものも増えた。
だからこそ、やらなかった後悔は、

以前よりずっと重く感じる。

失敗は物語になるけれど、
行動しなかった選択は、ただの“空白”として心の底に沈殿する。
その空白が、未来の私を静かに刺す。
誰にも見えないところで、じわじわと痛む。
私はその痛みに、もう耐えられなくなっていた。

私は40代の、1児の母だ。
日々の生活があって、守るものがあって、
自分のことだけを考えて生きているわけじゃない。
だからこそ、

自分の本音を後回しにしてきた時間も長い。

でも、
本音を置き去りにしたまま生きることに、
もう耐えられなくなった。

誰かに褒められたいわけじゃない。
立派に見られたいわけでもない。
凄い人になりたいわけでもない。

ただ、
本音で生きたい。
それだけが、私の中で静かに、

でも確実に膨らんでいった。

40代になった今だからこそ、
「自分の人生をどう終わらせたいか」を

考えるようになった。
空白を増やしたくない。
未来の私を裏切りたくない。

そして、私は宣言する。
私は凄い人になりたいのではなく、
ただ本音で生きることを選びたい。
失敗よりも、何もしなかった後悔を

したくないだけだ。

挑んでこそ、私だ。


まだまだ私の人生、これからだ。

 

第二章は、静かな火から始まる。
深夜の静けさの中で、
本屋の余白の中で、
自分の本音と向き合って生まれたこの火を、

私は消さない。

ここからが、私の人生の第二章だ。

朝の小さな運

私は職場までバス通勤。
いつも混んでいるバスなんだけど、

今日はラッキーなことに早い段階で座れたのさね。
たまたま降りようとする人の近くに立っていたからなんだけど、こういう偶然って、朝の小さな運だと思う。

なんせ、45分ぐらいは乗っているという長い時間。
早めに座れたことで、ブログに費やす時間が作れた。
それだけで、今日のスタートが少し優しくなる。

昨日の義父のことでも、

もしかしたら呼び出しがあるかもしれない。
それでも、朝の青空を眺めながら

「大丈夫、きっとね」と思えてしまう。
根拠のない、不確定な自信がふっと生まれる朝の時間は、やっぱり好きなんだよねー。